ある日、目に飛び込んできたのは、財務省による“冷静なご意見”。「介護職員の一律の賃上げには慎重であるべき」と。理由は、「高い賃金に頼るのではなく、生産性と職場環境で勝負すべき」とのこと。
……あぁ、そうですか。では問います。
あなたが「そこそこキツくて報われにくい仕事」を選ぶとき、賃金が低くても、”雰囲気がいいから”で選びますか?
財務省の言い分――確かに、ロジックは通っている。
財務省としては、介護報酬を1%削れば1420億円の財源が生まれる、これを未来への投資や現役世代の負担軽減に充てたい、という算段。そして、人材不足への処方箋は「給料ではなく、効率と環境改善」だと。
理屈としては理解できます。国全体の財布のヒモを握る立場なら、安易に「はい、じゃあ全部上げます」とは言えないのも分かる。
でもね――。
見えてないのは「当たり前」の原理原則
現場からすれば、もっとシンプルな話。
「安い給料の仕事には人が来ない」
これ、経済学部じゃなくても小学生で理解できます。
ましてや、体も心も削る介護の現場であればなおさらです。
いくら職場に観葉植物を置こうが、エアコンを最新にしようが、「生活が成り立たない給料」では続けられないのが現実です。
夢じゃ、米も家賃も払えないんですよ。
生産性とか言うけど、誰がやるの?
テクノロジーの導入で効率化?いいでしょう。
職場環境の改善?素晴らしい。
だけど、それを実行するのは「人」なんです。
ロボットが介護してくれる未来はもう少し先。いまこの瞬間、現場で汗を流す人たちがいなければ、生産性もへったくれもないのです。
給料という最低限の安心がなければ、どれだけ立派な理念や制度を掲げても、それは「穴の空いたバケツに水を注ぐ」ようなもの。
まずは、その穴――人材が流出する原因をふさぐことが最優先です。
財務省に届け。これは「わがまま」じゃない、「持続可能な社会」の声だ。
私たちは高級車が欲しいわけでも、贅沢な暮らしがしたいわけでもありません。
ただ、「利用者の笑顔を守りたい」。
そのために、安心して生活できる給料をください。
介護というのは、人間の最後の時間を支える仕事です。命と尊厳に触れるこの現場に、対価が伴わないなら、それは“尊重”ではなく“搾取”です。
人を大切にしない社会に、未来はありません。
どうか、現場の「当たり前」の声に耳を傾けてください。
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